FC2ブログ

ハチミツ

やおい好きの腐女子のブログ。今は、海外の刑務所ドラマ「OZ/オズ」の囚人カップルに萌えてファンサイトになっています!仲間募集中!

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

刑務所ドラマOZ語り(ビーチャー 第二談)

ああ、今日は寒すぎます!!(((≧σ≦)))
急に冷えましたね。寒がり屋の私には辛いです。

こんな寒い日に温まるには、萌えるに限ります!
というわけで、今日は前にもやりましたビーチャーさん特集の2回目です(笑)

OZではビーチャーさんは、常に悩める人なので、私にとって彼の思考を想像するのはなかなか面白いです。
今回は、ビーチャーさんが今のB/Kの話では宗教にはまっているので、
宗教の話を絡めて私のビーチャーさんの心理解釈をいろいろ書いてみます。

ですが、あらかじめ断わっておきます。

私は別にキリスト教の信者でも、熱心な仏教徒でもムスリムでもありません。
多くの日本人同様に適当な多神教徒です。

この記事では、素人の読みかじり聞きかじりのあいまいな宗教知識と興味で書いてます。
そして、あくまで刑務所ドラマOZの考察の一部として宗教を取り上げています。

まじめな信者の方は、以下の話を読まないようにお願いします。
ツッコミをいれられても、私としてはどうしようもないので(^^;)



さて、私のブログのストーリーラインの話では、ビーチャーさんはサイードにケラーたちを許すようにと言われていましたね。

”ゆるす”を”許す”と私は話で書いてますが、サイードの言う場合について正しくは”赦す”です。

キリスト教では、この”赦し”が大変大きな意味があります。
それはどこで言えるのかというと
あの最後の十字架の場面で磔刑されたイエスが
「父よ。彼らをお赦しください。 彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」と言って自ら赦しを実践しているからです。
解釈によるとこれで人々の罪は赦されたのだそうです。
だから、キリスト信者は、相手を赦すことがとても大切だと教えられるのです。

さて、ここから妄想というか想像でビーチャーさんの悩みについて書いてみます。

まづビーチャーさんは、一応一般的アメリカ人でキリスト教的道徳観をもっていると思いますので
上記の”赦し”の大切さは、もともと頭では良く知っていると思います。

さて、現在のビーチャーさんの悩みは、アンディの死についての責任ですよね。
良心が目覚めたビーチャーさんは、とても罪悪感を感じて苦しんでいます。

でも、それだけでなく別の苦しみとしてもう一つ、
ビーチャーさんはケラーとシリンガーへの憎しみについて悩んでいました。
憎しみの感情は、強い感情で果てが無くて、結局自分自身の心を一番疲れさせて苦しめる感情です。
百害あって一利なしの感情ですね。
だからビーチャーさんは、復讐をしてもなくならないこの憎しみからなんとか開放されたいと思っていたと思います。

でも、シリンガーへの憎しみは、プラグ(奴隷・愛玩具みたいなもの)にされたことの憎しみもありますからかなり強烈です。
そして、ケラーへの憎しみは、前に書いたように愛が関わるだけ別の意味で強烈ですよね。


これらの方向の違う憎しみと赦して欲しいという感情が、ビーチャーの心の中で渦巻いていると想像すると
かなり不幸な心理状態ですね。まじめなビーチャーさんが、宗教に救いを求める気持ちも理解できます。

ビーチャーさんはキリスト教徒ですから、おそらく初めからケラーやシリンガーへの憎しみから逃れるためには、赦しが必要だとわかっていたと思います。
でも、たぶんビーチャーさんは赦し方が分からなかったのです。
おそらくビーチャーの人生で、これほど相手を憎んだことなどなかったでしょうから。

だから、ビチャーさんはもう一度聖書を読んで彼らを赦すように自分の心に説得を試みたと思います。
でも、憎しみの心があまりにも強すぎて、いくら理性で考えてみても自力では自分の心を説得できずにいたから、
カリスマ宗教指導者のサイードに助けを求めたんだと思います。

だから、あの食堂でサイードと二人で話していたシーンを解釈すると

サイードに「赦してやるんだ」と言われても「できない」と答えてサイードにカーンの話を突きつけたのは、
サイードに赦し方を実際に教えてもらいたいから、ビーチャーさんがワザとわがままを言ってみたんだと言えます。

まあ、これは私の勝手な想像です。他の解釈もあると思います。
でも、こう思うとわがまま言ってサイードを困らせるビーチャーさんがとても可愛いので萌えるのです!!(笑)

さてこのドラマでは、ビーチャーの赦しにいたる心の葛藤のシーンはないっと言って良いぐらいないです。
もったいないですよね。(´・`)
キリスト教文化圏ならこういう試練と赦しのテーマは好きなのだから、
もっと濃密にすればいいと思うのですが・・・バイオレンス・反社会的をテーマにしたドラマのOZでは
そんな道徳的なシーンはたぶん無用なのでしょうね(^▽^;)
まあ、妄想で欠けたシーンは補えるからいいですけどね(笑)

さて、ビーチャーさんの赦しへの抵抗感をサイードは、自ら赦しを実践してみせることで取り除いてくれます。
だから、ようやくビーチャーさんは、自分の贖罪のためにケラーたちを赦そうと決心できたんだと思います。

さて、こんな風に、私はビーチャーの心理を想像しながらOZを楽しんでいます。
他の方もそれぞれいろいろと想像しているのでしょうね。
また機会があればOZファンの意見を聞いてみたいです(^^)

さて、キリスト教の話が出たので最後に書くのは、ネットで見つけた素敵な文章(詩?)です。
どこで見つけたのかは、忘れてしまいました。素敵なのでメモしていたのです。(つまり私の作品ではありません。)
何か問題があれば申し出てくださいませ。削除等の対応をします(^^;)

下の文章は、まるでムカダ神父が唱えていそうで素敵ですよ(^^)

******

主よ
私をあなたの平和の御使いにして下さい

私が惜しみのあるところに
愛を齎(もたら)すことができますように


諍(いさか)いのあることろに
赦(ゆる)しを

迷いのあるところに
信仰を

絶望のあるところに
希望を

悲しみのあるところに
喜びを

闇のあるところに
光を齎(もたら)すことができますように

どうか導いてください


主よ
慰められるより慰めることを
理解されるより理解することを
愛されるよりは愛することを
望ませてください


自分を捨てて始めて自分を見出し
赦してこそ赦され

死ぬことによってのみ
永遠の生命に蘇(よみがえ)ることを

深く悟らせください

************
スポンサーサイト



| 海外ドラマ(ほぼOZ関係) | 20:29 | comments:2 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

こんにちわ☆

「赦す」と「許す」の違いって、正直よくわからないのですが、なんとなく「赦す」の方がすごいことのような感じがします。
ビーチャにしろサイードにしろ、「許せるわけないだろ!」という気分なはずですよね……これが「赦す」となると違うみたいで、不思議です。
私はキリスト教に限らず宗教には詳しくないのですが、ビーチャのように行き場のない怒りや葛藤(ケラーに対する愛情とか)を抱えてる人にとっては救いになるのでしょうね。

素敵な文章ありがとうございます。
「自分を捨ててはじめて自分を見出し」ってところ、なんか好きです☆

| gobyuu | 2009/12/22 13:21 | URL |

ウェルカムです! gobyuuさん(^▽^)

> なんとなく「赦す」の方がすごいことのような感じがします。
辞書的には、赦すが使える範囲は、義務や罪を”ゆるす”ぐらいなので、許すより意味が厳密らしいです。まあ、赦すは法律用語みたいな専門的なものですね。

> 「許せるわけないだろ!」という気分なはずですよね……これが「赦す」となると違うみたいで、不思議です。
> 私はキリスト教に限らず宗教には詳しくないのですが、ビーチャのように行き場のない怒りや葛藤(ケラーに対する愛情とか)を抱えてる人にとっては救いになるのでしょうね。

そうみたいですね。私も宗教は良く分からないのですが、宗教的な意味や価値がある行為となれば、信者は納得して難しいこともできるという気持ちになるんでしょうね。
不思議ですが、それで心が救われる・・・心の整理ができるという感じでしょうね。
そういう意味では、宗教を信じる人は悩みを軽くする術を持つだけに強いですね。
ああ、だから悩める人は、宗教に走るんですね。

> 「自分を捨ててはじめて自分を見出し」ってところ、なんか好きです☆
気に入ってもらえて嬉しいです。(*^^*)
その文章も素敵ですよね。
自己を捨てて神に遣える、人のために尽くす、その中で本当の自分を見つめるという姿勢があるように思えます。美しい姿勢ですね。

では、gobyuuさん コメント本当にどうもありがとうございました(o^∇^o)ノ

| はちだんご | 2009/12/22 20:46 | URL | ≫ EDIT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT